2012/03/12




一年前の昨日と一年後の今日。

ひとりひとりの悲しみや感情に価値も順位もつけられません。
昔、福知山の脱線事故の時。テレビでは残された遺族や犠牲者の中でもより可哀想
なひとを見つけ出し、ドラマに仕立て上げてお茶の間に消費させようとするのを目
の当たりにしてもの凄く嫌悪感を感じたのを覚えています。まさに「悲劇」でした。
チャンネルをかえれば切り替わる世界。観客として「悲劇」に浸った後で、指を動
かせば安全な恋愛ドラマだってやっている。目眩がしました。

そうならないように。痛みなど理解も分かち合えることもできません。それは私の
想像の範疇を越えられない。例え私があの場所にいて、何かを失っていても、それ
でまた同じような経験をした人と等しくなるわけでもない。
感傷に利用しないように。純粋な観客などいないのです。あのとき全ての人は舞台
にあげられ、そして今も継続している。